1000flavor’s diary

隙を作って自分語り

無根拠な全能感を看破される青少年は美しい 〜舞台『豊饒の海』感想〜

※当方原作小説は数年前にさらっと一周したのみです。
※舞台観劇歴大変浅い者が書いております。
※色々拙いです。
※何か問題ありましたら削除します。
※敬称略

 

 

 

◾️前置き

先日行ってきました。
http://www.parco-play.com/s/program/houjou

 

豊饒の海』とは、かの有名な三島由紀夫氏による長編小説です。『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の全4巻で構成されています。氏は『天人五衰』の最終稿を入稿後に市ヶ谷の駐屯地にて割腹自殺しているため、最後の小説となっています。

 

あらすじや主な登場人物を知りたい方はwikipediaをご覧ください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E9%A5%92%E3%81%AE%E6%B5%B7

 

・・・・・・さて。

 

著名な文豪による作品が原作である舞台の感想のため、本来ならもっと美しく品のある文章で執筆すべきと推察されますが、私のこの稚拙で俗物的で凡庸な感性を却って逆手にとってやろうと決意いたしましたので、以降はひたすらそのような文体でお送りします。

 

 

◾️我流・『豊饒の海』とは?

豊饒の海』を端的に、現代の二次元オタク的に称するならば、”エロゲ親友キャラがひたすら主人公に執着・苦悩するやつ”です。

 

・・・・・・せっかくいい感じにヤケになっているので(私が)、勢いで我流に主要キャラの解説をします。

諸々舞台版に準拠しているのでご注意を。本記事執筆のため今更ながらに原作をちょこちょこ読み返してますが、舞台では結構設定変わってますね。特に『暁の寺』。

 

 

○第一巻『春の雪』明治末期〜大正初期

・松枝清顕(18)

   主人公。貴族の息子。幼馴染が気になっているが自尊心やら何やらが先行して素直になれない。満たされ過ぎた生い立ちゆえに真の生を求め、幼馴染を皇族の婚約者に仕立ててから手を出す。早世の際、親友に「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い残す。公式で顔が良い。左脇の下に三つの黒子があるのが特徴。

 

・本多繁邦(18)

   主人公の同級生であり親友。判事の息子で父と同じ道を志す模範的な青年。凡庸な自分とは一線を画す主人公の個性に羨望し、複雑な感情を抱いている。主人公の遺言を契機に、一生を彼に翻弄される。事実上の副主人公。

 

・綾倉聡子(20)

   ヒロイン。主人公の幼馴染であり、没落した貴族の末裔。主人公を慕っているが、家の再興のため皇族の婚約者となる。清顕の子を妊娠したことを契機にすべてを捨てて出家。もちろん美人。

 

 

○第二巻『奔馬』 昭和初期
・飯沼勲(18)

   主人公。武骨な右翼青年。滝の下で本多に三つの黒子を目撃される。日本の将来を憂いてクーデターを起こすが未遂に終わり、割腹自殺する。

 

・本多繁邦(38)

    父と同じ判事を務めていたが、勲の事件の弁護のため、即座に弁護士に転身。「清顕の転生者を死なせてはならない」という思いに囚われている。

 

 

○第三巻『暁の寺』昭和中期

・月光姫(ジン・ジャン)(18)

   主人公。タイの王女で日本に留学中。性別は異なるが、例の三つの黒子があることで色々な意味で本多の執着の対象となる。官能的な肉体で周囲を魅了。タイへ帰国後に蛇に噛まれて死亡。百合。

 

・本多繁邦(58)

    弁護の報酬で大金持ちに。主人公達の同性愛行為を目撃したことで覗き趣味に目覚める。

 

・久永慶子(49)

   離婚裁判を契機に本多と知り合う。有閑の同性愛者。主人公との同性愛行為を本多に見せつける。本多が覗き魔になったのは大体この人のせい。以降二人は良い友達に。要するに類友

 

 

○第四巻『天人五衰』昭和後期
・安永透(16)

   主人公。片田舎の灯台の勤労少年だったが、本多に三つの黒子を目撃されたことで彼の養子となる。「自分は天に選ばれた存在」と確信しており、凡人への「教育」を強いる(≒”清顕”を生かそうとする)本多に反発・虐待するように。見かねた慶子に「貴方が選ばれたのはただ三つの黒子があっただけ、天命も何もない偽者」と看破され、服毒自殺を図るが失敗する。私の推し。

 

・本多繁邦(78)

   慶子とは旅行する気さくな関係になっている。透の自殺未遂後に自らの死期を悟り、尼となった聡子への謁見を決意する。

 

・御門跡(83)

   俗名は綾倉聡子。本多からの謁見の依頼を承諾し、六十年振りの再会を果たすが……。

 

 

◾️舞台のここが良かった!

先述のとおり『豊饒の海』は全4巻で構成されているのですが、各頁数は以下の通りです。
・『春の雪』→467頁
・『奔馬』→505頁
・『暁の寺』→425頁
・『天人五衰』342頁
すなわち全1,739頁。


本舞台の上映時間、計何分だと思いますか?
公式サイトに以下の記載があります。

 

>上演時間 約2時間40分(休憩15分含む)予定

 

正気か?

絶対終わらないでしょ。

ご丁寧に休憩15分まであつらえていらっしゃいますよ。

絶対終わらないでしょ!!!

もう目まぐるしい勢いで清顕達が生まれては死んでゆくこと待ったなし。

 

観劇するまでは私もそう思っていました。

 

結果としては、観劇後に感激しながらチケットを買い足したので、そういうことです。

 

初見時には見逃したシーンや是非再び観たいと感じた演出等を早々にもう一度観られたのは良かった、の、ですが。

ただやはり、どうしても、初見時の脳髄を鉄パイプで殴られたような衝撃には至りませんでした。

はぁ……観劇の記憶だけ失ってもう一度改めて観たい………。

以降散々演出バレ書いてるけど、こんなのは読まずにまっさらな気持ちでチケットを買ってほしい……本当に。

 

閑話休題
特に好きだと感じた演出等を以下に列記します。

原作の時系列は20年毎に『春の雪』→『奔馬』→『暁の寺』→『天人五衰』となっていますが、舞台ならではの演出が盛り込まれるのに併って大胆なアレンジがありました。

 

すなわち、『春の雪』と『天人五衰』をベースに、『奔馬』と『暁の寺』のスパイスを絶妙に加えてゆくという構成です。

 

また、舞台化に当たっては、四人の”清顕”、四世代の本多をあえて同一キャストにする(ことにより彼等の演技の幅を魅せる)という選択肢もあったと思いますが、本舞台ではすべて別キャストを充てています。

 

つまり、壇上に四人の”清顕”、四世代の本多が同時に存在する世界を創り出すことが可能になっています。これが本当に本当に本当に素晴らしかった・・・・・・!

 

 

○冒頭
原作第一巻(『春の雪』)は主人公である清顕の特有な人格形成に至る生い立ちから始まりますが、本舞台は早速オリジナルシーンがあります。

 

壇上に滝がある。
滝の後ろで4人が入れ替わり立ち替わり「我こそが主人公だ!」と言わんばかりに互いを押しのけて前に立つ。
透を押しのけるのは(そういう順番でもあるが)必ず清顕である。
数度の押し問答の末、最後に清顕が滝の真正面に立つ。
瞬間、フェナキストスコープのように壇上へ即座に園遊会の舞台装置が持ち込まれ、『春の雪』が始まる。

 

初見時、直前まで頭を占めていた「この長編を一体どうやって短時間にまとめるのか?」という疑問はこの演出を見た瞬間に吹き飛びます。

 

「あ、イケるわ」

 

開始一分で私のような観劇素人に確信させる手腕、圧巻の一言に尽きます。

 

 

○清顕と聡子の雪見の直後(『春の雪』)

美男美女による、あまりにも物語じみた美しい光景。自身の人生との落差に傍観者である本多は思わず独り言ちます。

 

本多(18)の問い「俺もいつかあんなに美しくなれるだろうか?」
本多(58)の応答「なれない。俺は俺にしかなれない」
本多(78)の野次「だが、長く生きることはできるぞ!痛みにも……慣れてゆく」

 

若者の(若者ゆえの青い)苦悩に相対する年長者にとって最も禁忌なのは「老いと共にどうでも良くなる」と返答することだと思うのですが、本多(78)はドンピシャでその禁忌を破ります。破りまくります。

 

本多(18)の独白は確かに疑問系ではありますが、別に解を求めているわけではないはずです。

ところが、本多(58)と本多(78)は呼ばれてもいないのに勝手に登壇し、茶々を入れます。マウントを取ります。まさに作中(『天人五衰』)で透が忌避していた”老人”そのものなのです。

 

 

○月光姫と慶子の同性愛行為を覗き見る本多(『暁の寺』)

件の百合行為を覗き見た本多はその場で自慰に耽ります。

 

射精した自身に愕然としている本多(58)へ語り掛ける本多(78)。
「時は失われてゆく!……欲望を恥じることはない、生きてる証拠だ。その感覚も、もはや懐かしい」
ハンカチを取り出し、本多(58)の手に残る精液を拭う本多(78)。

 

何度も”清顕”の死を見届けた本多(58)を『諦観』と称するならば、更にそこの先を往く本多(78)は『達観』です。

本多(78)は度々登壇しては「自分はもうその苦悩を割り切っている」「誰のせいでもない」と(誰に訊かれているわけでもないのに)語ります。”人生を達観している”とアピールしてきます。

天人五衰』のオチを知っている(≒更なる観測者である)我々観客としては、愉快極まりないのです。

 

 

○月光姫の三つの黒子を目撃した瞬間の本多(『暁の寺』)

 

本多(58)「今度は女だ!……松枝、俺にどうしろと……」

 

たぶん確実に、清顕本人は本多にどうにか云々してほしいとなどは思っていないわけです。

 

本多が見届けた“清顕”の転生が本当であったのかは様々な解釈があるそうですが、少なくとも本舞台の壇上の本多(58)は自身をこの輪廻転生の物語に観測者として組み込まれていると思っています。透の自尊心よろしく結局のところ根拠なんて何もないのに。エゴに満ちてますね。最高です。

 

 

○透の凡庸性を看破する慶子(『天人五衰』)

老人を忌避して本多への虐待を繰り返す透を見かね、慶子が彼に言い放ちます。

 

「あの人が養子を望んだ時、尤もらしい口上を並べていたけれど、本当は何と思って?……己惚れていらしたんでしょう?あなたの無根拠な自尊心と彼の申し出が、天啓のように符合したと思ったんでしょう?欲しいものはせいぜい金、権力といったところですか。あなたは卑しい、小さな、どこにでもころがっている小利口な偽者よ。あなたには運命なんてない、美しい死なんて到来しない。でも安心してーーあの人あなたがたとえ偽者でも、お金だけはきちんと遺してくれるわ」

 

人間(特に青少年)はイデオロギーを喪った瞬間が最も醜く美しいと私は思います。
原作・舞台に私の記憶と捏造が入っていますが、慶子の啖呵はおおむね上記のニュアンスです。直後に怒り狂った透は傍らの除草剤を飲みますが醜く生還します。最高〜〜〜〜〜!

 

 

◾️その他雑記
・勲の切腹(『奔馬』)と清顕達が初夜の絶頂が壇上でまったく同時に描かれる。生と性は実質同義ということか。

 

・本多(18)と本多(38)の「松枝!(禁忌に向かう清顕を止める)」「勲!(クーデターに向かう勲を止める)」は同時に叫ばれ、肺炎を拗らせた清顕と服毒自殺を図った透は同時に倒れ込む。これは本当に舞台でしか観られない『豊饒の海』である。

 

・『天人五衰』で本多が慶子に初めて清顕の夢日記を見せる際、「(かつて交わったのだから)月光姫のことは君の方が詳しいだろう?」という本多の問い掛けと共に『暁の寺』が回想として幕を開ける。

   本多(78)家の静かな室内から一瞬でデカダンスに満ちた久永家のアナーキー・パーティーに切り替わる演出が見事。

 

・『暁の寺』で百合セックスを目撃した本多が射精して呆然とするシーンは旧劇エヴァだし、『天人五衰』の本多と門跡の面談を見下ろす登場人物各位はTV版最終話の「おめでとう」だった。エヴァまったく詳しくないんですけど。

 

・本舞台、冒頭の台詞がラストで回想としてもう一度意味深に繰り返されます。オタク垂涎の演出です。絶対好きなやつです。

 

・パンフレットを拝読して知ったのですが、本多(78)を演じた笈田氏はかつて三島氏ご本人が演出した舞台に出演したことがあるそうです。
あまりにもエモい。何だそれ。この巡り合わせだけで一作書けるのでは?

 

 

 

ああ、記事書いているうちにまた観たくなってきた。観たい。

 

http://www.parco-play.com/s/program/houjou/

 

然し、何と本舞台の東京公演は本日(12/2)めでたく千秋楽を迎えてしまった。すなわち東京ではもう観られないのだ。無念。(ブログを書くのが遅いだけとも言える)

 

来週末に大阪公演があるそうなので、お近くの方で興味のある方は是非どうぞ。

 

 

そんな私の近日観劇予定の舞台はテニミュ四天宝寺公演とあんステMoMです!楽しみ〜!(突然の2.5次元)

 

 


ほんと長くて申し訳ない。以上です。